2020年02月29日

EverQuest

EverQuestとは、1999年3月にサービス開始のアメリカ製MMORPGです。
everquest.jpg
1999年7月〜2004年7月までプレイ(実質2003年11月まで)

プレイというより移住といった方がしっくりくる程、リアルな人生とは別の思い出ができました。
ラノベの異世界転生モノを地でいった感じといえば伝わるかな。
未だにその時のことを思い出して懐かしい想いにかられたりします。
数人〜数十人で同時に一つの目的を達成することを積み重ねていく。
それを毎日数時間から十数時間続けるわけですから、それはもう大変濃い密度の人間関係が生まれます。
もう実生活に支障をきたす人続出ですよ。
会社辞めたなんてのはよくある話。
しばらくログインしてないと思ってたら、これが原因で離婚してたとか。
24時間いつもいるので不思議に思ってたら、マンション経営で管理人室にいればよいだけとか反則だろそれw
OFF会も催されたので何度か出てみました。
面白いのはゲーム中の性別を本当の性別と変えてる奴ですね、カミングアウト気味になるので。
女キャラ⇒男は良くいますが、男キャラ⇒女(しかもOFF会来る人)は少ないので盛り上がります。
スゲー美男とスゲー美女がいたと思ったらその日から付き合いだしてなんだよも〜とか。
あと本人の顔がキャラクターとそっくりで大受けとか。

私が住んでいたサーバーは、
アメリカ50%、フランス20%、日本20%、他の国10%くらいの比率だったかな。
いつもの仲間が集まるまでは野良でパーティーを組んだりするので、基本英語圏の人と一緒にやることになります。
特定の敵を狙う場合、そいつが現れるまで数分から数十分の待ち時間が生じ、その間はチャットタイム。
向こうもこちらが日本人とわかると色々と聞いてきたりして、思わず話に花が咲いて待っていた敵が出たの見過ごして他のパーティーに取られて、あ〜〜〜とか。
ただ会話といってもそこはゲーム中のことなので、スラングやゲーム内の単語などの積み重ねでほぼ意志は通じていました。
我々日本人ギルドが年越しの新年あけおめやってると、外国人がオイオイまだだろ?とか時差を肌で感じたり。

とにかく様々な事があるので、もう日記を書かずにはおれなくなりました。
というわけで、序盤に書き始めたRPG日記(日付は実際のもの)
が、さすがにロールプレイは面倒というか、そんなことやる時間あったらログインするようになり、ほどなく普通の日記に変更。
日記とリンクと掲示板のHPも作ったんですが、それだけじゃ物足りなかったので、ひたすらローブを集めたりして。
レアローブ求めて5日くらい同じダンジョンにこもったことも。
ローブはキャスター(魔法使い)である私の見た目が大きく変わるアイテムだったのでこだわってました。
性能的に良いモノはソロはもちろんパーティーでも取るのは無理なのでギルドの数十人規模のレイドでしか入手できなかったりします。でまたこのレイドというのがなかなか大変なシステムなんですが説明始めると終わらなくなるので省略w
なんだかんだで楽しい日々を過ごしていました。

そして3年の月日が流れ…
日本人ギルド初となるラスボスを倒すという偉業を成しえて気が抜けたことに加え、
実生活に赤信号が灯って再開した原型仕事も忙しくなり、次第に足が遠のいていきます。
仲間も一人また一人と去っていったこともあって、引退を決意しました。

最後のスクリーンショット。
everquest_1.jpg

で、実はまだHPの残骸が残っていたりw

タグ:ゲーム
posted by 秋山徹郎 at 23:32| その他

2020年02月19日

AppleII

1970年代後半、少年チャンピオンの黄金期です。
ブラックジャック、がきデカ、エコエコアザラク、750ライダー、マカロニほうれん荘…珠玉の名作がずらりですね。
吾妻ひでおも連載してましたが、まだSFになる前だったので私が影響を受けるのは少し先の話。
マカロニほうれん荘が大好きで、毎週楽しみにしてました。
さてそんな中、スーパー巨人という連載が始まります。
スーパー巨人.jpg
当時流行り始めていたマイコン(今のパソコン)を題材にした所謂流行りモノ漫画だったんですが、なんか妙にはまってしまい、俄然マイコンに興味が。
漫画自体はマイコン乗せた自転車が自動で走るとか、どうやってバランス取ってんだよ、ていうか動力どこ?みたいなw
ただ、それがきっかけでマイコン雑誌を読むようになります。
愛読してたのはI/Oでした。
そして1978年、中学3年の時です、私の中でマイコンブームがピークに達し、H68/TRを誕生日だかにかこつけて買ってもらいました。
H68-TR.jpg
H68/TR(1977年発売のキット)
キットなので自分でハンダ付けして組み立てなければなりません、コンピュータを?
でも作っている間は本当にワクワクしてました。なんかもうちびりそうなくらい興奮してた記憶があります。ハンダを溶かすときの松脂の焦げる臭いはいまだにあの時の興奮を思い出します。
そしてすんごい頑張ってなんとか無事完成、動いたときには嬉しかったなぁ。って今思うとスゲーな中学生の私w
が、完成したところでこれいったいどーすんの?…プログラム入れてみても電卓状の14桁表示では超簡単なシューティングゲームもどきができるくらい…なんだか期待してたのと違うよ違う。
むぅ…
そんなところへAppleII plusの発売情報ががが!
こ・れ・は・欲・し・い・!どうしても欲しい!何が何でも欲し〜〜〜っと地団駄を踏んだりするわけですが、10万のH68買ってもらったばかりで30万もする2台目のマイコンはさすがに買ってもらえず(あたりまえ)、小学校の頃から貯め込んでいたお年玉を一気に放出!
…しても少し足りなかったので、高校受験受かったら足りない分援助してもらうとかなんとか。
1979年、めでたく受験をパスし、AppleII plus購入となります。
Apple_II_Plus.jpg
バ〜ン!

入ったばかりの高校でさっそくマイコンクラブを立ち上げるもAppleII持っている奴なんかいるわけもなく。
仕方ないのでI/O誌の会員募集コーナーかなんかで地元近隣でサークルを探し、近くの医科大学生が作ったAppleIIサークルを発見して入会します。
会員は5〜6人で会長の医科大生、プロプログラマー、写真家、等、大人ばかりの中、同年代が1人だけいました。開成高校だったので程なく勉強が忙しくなって来なくなりましたが。
会長は開業医のご子息で産婦人科目指してると言いつつ、できちゃった学生結婚してましたよ何それぷぷぷwww
ここで交流しつつ、雑誌に載ってるプログラムを手入力してみたり、カセットに録音したプログラム(ピ〜ガガガってやつ)が読み込めなくて難儀したり…高校のマイコンクラブ含めて色々な事を経験しました。
そういや音響カプラはついぞ成功しなかったな。
フロッピーディスクも5インチのデカいやつで、端っこ切れば両面使えるとかやってましたね懐かしい。
そのうちに6k BASICで簡単なプログラムを組めるようになり、テキスト文字に当たり判定付けて撃ったりかわしたりするシューティング系ゲームを作ったりしました。
UFOにさらわれた恋人を助けに旅立つというストーリー仕立てで、さらわれる場面のデモ入れたゲームが結構好評で、これとミニシューティングいくつかを一緒に5インチディスクに焼いて秋葉原の九十九電機に持ち込んで売ったりしました。
あと会員のプロプログラマーがアッセンブル教えてくれようとしたんですが、チンプンカンプンで速攻挫折したり。
この頃にパソコンに触れていたことが後の人生に多大な影響を与えたのは言うまでもないですね。
そしてそうこうするうちに吾妻ひでおがSFになり、そっち(オタク)の世界へ没頭するようになって私のAppleIIは埃を被っていったのです。

posted by 秋山徹郎 at 13:23| その他

2020年02月18日

【プリプラ】タマムシ

tama_0.JPG
1/1サイズのタマムシ。

クリア成形への印刷が相当奇麗だったので、
osara_1.jpg
お皿シリーズ。

メッキした上から印刷したら金属光沢バッチリで更に素敵ではないだろうか?
…ということでチャレンジアイテム、ヤマトタマムシ1/1原寸サイズで作ること決定。
造形はその道の手練れに頼んだので問題なく出来上がりました。

原型分割してランナーに配置。
tama_model.jpg

ランナーはタマムシの好むエノキの幹をイメージしましたよ。
これが榎。
tama_enoki.jpg

ところがメッキが問題で、
コストを考えるとなかなか難しく、かと言って国外でやったら国内生産じゃないじゃん!
どうしようか悩んでいたところ、最近のシルバー塗装は結構良いとの話を聞き、塗装でやってみることに。
まずは通常の3Dプリンタ出力品を仕上げてシリコン反転レジン複製し、シルバー塗装して印刷してみます。

できた!(工程だいぶ端折ってますw)
tamta_proto.JPG
美しい…。
印刷版の制作も相当苦労したハズ。

で、これをイベントでテスト販売するわけですが、レジン製なので軽く仕上げる必要があり、全部磨く羽目に…
tamta_buff.JPG
…ひぃ。

そして製品!
IMG_4543.JPG


■価格(レジン版)
¥3,000円


タグ:プリプラ
posted by 秋山徹郎 at 11:29| プリプラ