2020年02月19日

AppleII

1970年代後半、少年チャンピオンの黄金期です。
ブラックジャック、がきデカ、エコエコアザラク、750ライダー、マカロニほうれん荘…珠玉の名作がずらりですね。
吾妻ひでおも連載してましたが、まだSFになる前だったので私が影響を受けるのは少し先の話。
マカロニほうれん荘が大好きで、毎週楽しみにしてました。
さてそんな中、スーパー巨人という連載が始まります。
スーパー巨人.jpg
当時流行り始めていたマイコン(今のパソコン)を題材にした所謂流行りモノ漫画だったんですが、なんか妙にはまってしまい、俄然マイコンに興味が。
漫画自体はマイコン乗せた自転車が自動で走るとか、どうやってバランス取ってんだよ、ていうか動力どこ?みたいなw
ただ、それがきっかけでマイコン雑誌を読むようになります。
愛読してたのはI/Oでした。
そして1978年、中学3年の時です、私の中でマイコンブームがピークに達し、H68/TRを誕生日だかにかこつけて買ってもらいました。
H68-TR.jpg
H68/TR(1977年発売のキット)
キットなので自分でハンダ付けして組み立てなければなりません、コンピュータを?
でも作っている間は本当にワクワクしてました。なんかもうちびりそうなくらい興奮してた記憶があります。ハンダを溶かすときの松脂の焦げる臭いはいまだにあの時の興奮を思い出します。
そしてすんごい頑張ってなんとか無事完成、動いたときには嬉しかったなぁ。って今思うとスゲーな中学生の私w
が、完成したところでこれいったいどーすんの?…プログラム入れてみても電卓状の14桁表示では超簡単なシューティングゲームもどきができるくらい…なんだか期待してたのと違うよ違う。
むぅ…
そんなところへAppleII plusの発売情報ががが!
こ・れ・は・欲・し・い・!どうしても欲しい!何が何でも欲し〜〜〜っと地団駄を踏んだりするわけですが、10万のH68買ってもらったばかりで30万もする2台目のマイコンはさすがに買ってもらえず(あたりまえ)、小学校の頃から貯め込んでいたお年玉を一気に放出!
…しても少し足りなかったので、高校受験受かったら足りない分援助してもらうとかなんとか。
1979年、めでたく受験をパスし、AppleII plus購入となります。
Apple_II_Plus.jpg
バ〜ン!

入ったばかりの高校でさっそくマイコンクラブを立ち上げるもAppleII持っている奴なんかいるわけもなく。
仕方ないのでI/O誌の会員募集コーナーかなんかで地元近隣でサークルを探し、近くの医科大学生が作ったAppleIIサークルを発見して入会します。
会員は5〜6人で会長の医科大生、プロプログラマー、写真家、等、大人ばかりの中、同年代が1人だけいました。開成高校だったので程なく勉強が忙しくなって来なくなりましたが。
会長は開業医のご子息で産婦人科目指してると言いつつ、できちゃった学生結婚してましたよ何それぷぷぷwww
ここで交流しつつ、雑誌に載ってるプログラムを手入力してみたり、カセットに録音したプログラム(ピ〜ガガガってやつ)が読み込めなくて難儀したり…高校のマイコンクラブ含めて色々な事を経験しました。
そういや音響カプラはついぞ成功しなかったな。
フロッピーディスクも5インチのデカいやつで、端っこ切れば両面使えるとかやってましたね懐かしい。
そのうちに6k BASICで簡単なプログラムを組めるようになり、テキスト文字に当たり判定付けて撃ったりかわしたりするシューティング系ゲームを作ったりしました。
UFOにさらわれた恋人を助けに旅立つというストーリー仕立てで、さらわれる場面のデモ入れたゲームが結構好評で、これとミニシューティングいくつかを一緒に5インチディスクに焼いて秋葉原の九十九電機に持ち込んで売ったりしました。
あと会員のプロプログラマーがアッセンブル教えてくれようとしたんですが、チンプンカンプンで速攻挫折したり。
この頃にパソコンに触れていたことが後の人生に多大な影響を与えたのは言うまでもないですね。
そしてそうこうするうちに吾妻ひでおがSFになり、そっち(オタク)の世界へ没頭するようになって私のAppleIIは埃を被っていったのです。

posted by 秋山徹郎 at 13:23| その他